広報誌No.19 特集「社会参加と理学療法 将来の社会参加に向けて、身体と心に寄り添う」

Message

37年間、理学療法士として人に寄り添い見えてきたもの

昭和46年、就職したばかりの私は、あるとき部長から、「君らの実力次第で、患者さんだけではなく、その家族までが大きな影響を受ける。そのことを強く認識しなさい」と責任の重さを指摘されました。また、別の時には、「医師は病気や心身を科学する。君たちは生活を科学しなさい。そこには医師とは異なった重要な役割がある」と言われました。
リハビリテーション医療は、障害のある方々や高齢者の社会的統合を目的とした医療なのです。障害があろうとも、普通の方々と同様に社会生活を行うのは人間としての権利とも言えます。リハビリテーションとは、人間の基本的な権利を具現化、あるいは支援する医療と私は考えています。

理学療法士として、私は37年間にわたって臨床に従事しました。今でも思い出すのは、特集にありますように、社会復帰がなかなか困難で苦労したことばかりです。私は福岡県の北九州市の病院で勤務していましたが、鹿児島県から来た脊髄損傷の高校生の復学を高校が認めず、その決定に抗議すると共に、復学を実現するために九州の最北から最南端まで6時間車を走らせました。結果的にこの高校生の車いす操作能力等を確認して、復学の了承を得ることができました。
なぜ高校が復学を拒否したのか。それは「知らない」ことに起因しています。脊髄損傷者の生活能力等を全く知らないために、車いす生活というだけで復学を拒否をしていたのです。「知らない」から「拒否する」、これは普通にあることです。それではなぜ知らないのでしょうか。答えは簡単です。障害のある方々が普通に社会参加できなかったからなのです。これは日本の伝統的な隔離教育の大きな災いだと私は考えています。
私たちは社会を、障害を一つの個性として受けとめて共生する場へと変えていかなければなりません。障害のある方々が自由に参加できる社会は、高齢者にとっても暮らしやすい社会となります。現在進められている地域包括ケアシステムも、根本的には高齢者だけでなく、子供・障がい者も含めた社会参加の問題を、住まいを中心にシステム化する工程です。その理念をしっかりと国民で理解していくことが大切です。そして、理学療法士はその先導役を果たさなければならないのです。

公益社団法人 日本理学療法士協会
会長 半田 一登

Intoroduction

「社会参加と理学療法」

今回の「笑顔をあきらめない」では「社会参加と理学療法」を特集テーマとしました。理学療法を受ける多くの方は病気やけがによって、ある日、突然、身体が動かなくなったり、不自由を生じることになります。
また、生まれつき身体に不自由がある方もおられます。
それは身体だけでなく、落ち込んだり、悩んだりする心の問題や今までの生活ができなくなる社会的問題を抱えています。
そんな時、理学療法士は、単に機能回復を図ることだけでなく、生活に必要な動作の改善を図り、対象者の将来の社会参加 を思い描きながら、理学療法を進めていきます。

最初は「一人で歩けるようになるためどうしたらいいか」、次は「日常生活が自立するためにどうしたらいいか」、そして「どうやったら仕事ができるだろうか」という徐々に変化する問題にその都度、目標設定し、段階的に理学療法を行います。
理学療法士は、毎日一歩ずつ階段を上がるように小さな回復を大切に積み重ね、対象者の身体と心に寄り添いつつ、一緒に考えながら大きな目標を達成できるように進んでいきます。
今回は理学療法士が対象者の社会参加にどのように関わっているのか紹介したいと思います。

特集1 子供たちの輝く未来を支えるために。理学療法と、地域の力を活かす。

Interviewee

  • 特定非営利活動法人リハケア神戸
    理事長 香川 真二さん

子供たちの課題解決を目指して手厚い対応を心がける

当法人では、未就学の子供を受け入れる児童デイサービス「いっぽいっぽ」、学齢期(6歳~ 18歳)児童を対象にした放課後等デイサービス「いっぽいっぽ」を運営しています。
児童デイサービスでは発達の遅れや、その心配のある子供を中心に受け入れ、子供たちが保育園や幼稚園にスムーズに通えるように支援をしています。放課後等デイサービスでは、通学後の障害のある子供を受け入れています。また、放課後だけではなく、学校のない土曜日や夏休みの間の受け入れを行っています。集団行動が得意でなかったり、怒りやすいなどの感情の遅れ、集中力が続かないといったさまざまな課題の解決を行い、子供たちの社会参加を目指し、リハビリテーションを行っています。
基本的に、スタッフ一人につき二人の子供を見ています。通常の保育園や幼稚園の多くがスタッフ一人につき十名程度の子供を見ていることに比べ、非常に手厚い対応をしています。こうした対応によって、子供たちと十分な触れ合いができ、その結果、よりよい心身の発達を促し、日常生活に必要な能力を身につけられると考えています。

理学療法士と保育士の力を組み合わせるより効果的な発達を促すために

スタッフの多くは、理学療法士や、保育士です。理学療法士は、子供の発達を促す運動を取り入れるなど、リハビリテーションの専門知識を活かして支援しています。一方、保育士は、お絵かきや工作、歌など、さまざまな遊びを通して、発達を促しています。この理学療法士、保育士のそれぞれの得意な部分を組み合わせることで、子供たちにとって、飽きがなく、より自然なかたちで、成長を促すことができると思っています。また、地域にいる言語聴覚士などの他の専門職の力も借りて、より効果的なリハビリテーションの提供を実現しています。他の施設では断られた重度の障害を持つお子さんの依頼が来ることがありますが、受け入れ可能かどうかを必ず議論します。疾患や障害への対応を最大限のところまで検討できるのは、専門知識を持つ理学療法士がいる当施設ならではの特徴だと思います。

その他にも、育児経験のある女性スタッフが多いため、ご両親に近い目線で取り組めている点も大きな強みといえます。わたし自身も、息子が障害を持っています。それがきっかけで、療育施設を作ったのですが、そうした立場だからこそ、よりご両親たちに近い気持ちで取り組めていると思っています。

解決方法はひとつではない だからこそ複数の視点で子供を見る

複数の職種が関わる体制をとっているのは、子供たちの課題解決方法がひとつではないからです。解決法が異なるため、さまざまな職種・立場の人間がそれぞれの視点から提案し、トライ&エラーを繰り返して、最適な解決方法を見つけていきます。理学療法士、保育士、保育園・幼稚園の先生、他専門職、そしてご両親と協力することの重要性は非常に高いと思っています。
また、子供一人ひとりには、療育記録があり、その内容を、すべての関係者が共有するようにしています。ご両親には定期的に面談を行い、療育記録の内容はもちろん、これからの課題を共有しています。それぞれの視点で見ることと、こうした情報の共有がしっかりとできることによって、子供たちによいリハビリテーションが提供できると思っています。

面談ではお子さんの気になること、時には、ご両親自身の悩みを聞き、ケアも行っています。お子さんと、ご家族にしっかりと寄り添い、ひとつひとつの課題を確実に乗り越えられるよう努めています。

地域の力で子供を支える そのなかで理学療法士が担うべき責任

当法人では、地域のお店に事前にお願いをして、子供たちが買い物の練習をする機会なども設けています。また、児童相談員や送迎バスの運転手として、地域にいる高齢者にも活躍していただいています。高齢者の方たちは、自主的にお花を植えたり、野菜を育てたりと、積極的に子供たちがいろんなことを体験できる機会を与えてくれています。
このような機会があることで、地域ぐるみで子供たちと触れ合うことができ、子供たちの発達に良い効果が得られるだけでなく、地域の方々にも障害のある子供たちを受け入れる素地ができ、地域自体の活性化にもつながるのではないかと感じています。わたし自身も子供たちの純粋な姿に触れることで、活力を得ています。

そして、同時に理学療法士が担う責任の重さも痛感しています。そもそも理学療法士は、その人と、ご家族の人生に大きく左右する影響を与える職種です。この責任を忘れずに、子供たちによりよい成長を促す最善の方法の提供、そして環境づくりを行い、子供たちの未来を支える力になりたいと思っています。

経験豊かな高齢者の方々は、子供との触れ合いが上手く、施設でも頼りになる存在。

子供の様子が常にわかるよう、モニターを設置。ご両親との面談時に普段の様子を見ていただく。

香川さん自身も率先して輪の中に入り、子供たちの状態把握に努めている。

野菜の収穫といった普段経験できないことを行い、子供たちの成長を促している。

特集2 障害の先で得た新たな未来。人生をともに歩む理学療法。

バイク事故で脊髄損傷により、下半身を動かせなくなった齋藤和也さん(以下齋藤さん)。しかし、齋藤さんは、この過酷な試練を乗り越え、現在、言語聴覚士として活躍されています。今回、齋藤さんと、担当理学療法士だった菊池善愛さん(以下菊池さん・国立病院機構村山医療センター)のお二方に、社会復帰までの経緯や、そのときに抱いていた思いをお話しいただきました。

Interviewee

  • 国立病院機構 村山医療センター
    理学療法士 菊池 善愛さん
  • 社会福祉法人聖ヨハネ会 桜町病院
    言語聴覚士 斎藤 和也さん

真っ白になった未来 バイク事故で下半身不随に

齋藤さん:大学生のとき、事故で脊髄を損傷し、下半身が動かせなくなるという障害を負いました。当時は非常に辛かったです。自由がないことの苦痛は、非常に耐え難いものでした。

菊池さん:でも、彼は、あまりその苦しさを表に出さずにリハビリテーションに励んでいたと思います。当時、私は理学療法士4年目で、脊髄損傷の患者さんを担当するのは初めてだったのですが、頑張る彼の姿に、勇気をもらっていた記憶があります。当初、息子さんの障害に戸惑っていたご両親も、その姿を見て、心強かったのではないかと思います。

齋藤さん:正直、当時は、その日その日を過ごすことが精一杯でした。先を考える暇もなく、若かったということもあり、将来のことに考えが及ばないという状態でした。だから、菊池さんのもと、自分ができることに全力で取り組んでいました。

退院までのリハビリテーション 自宅での生活に向けて

菊池さん:リハビリテーションの目標は、日常生活を一人で行えるようになることでした。怪我によって、それまでの生活と一変するわけですから、それに対応できる能力をしっかり身に付けてもらいました。特に、持久力、車いすの操作、バランス、スピードコントロールを確実に獲得できるようにリハビリテーションに取り組んでもらいまいた。

齋藤さん:はじめは、車いすの操作がうまくできず、何度も転びそうになっていました。今は当時のリハビリテーションのおかげで、身体の一部の様に動かせています。他にも、トイレや入浴などの日常生活で必要な動作の練習を行っていました。そうした入院時のリハビリテーションが、いまの生活の基盤になっているとよく感じます。

菊池さん:やはり身体面の向上だけではなく、理学療法士の視点で家屋や周辺の環境を把握し、実際の生活を見据えたリハビリテーションを提供することで、安心して自宅へと戻れるのだと思います。

齋藤さん:確かに自宅での生活には不安がありました。そのため、退院前に一度外泊ということで自宅に戻りました。そこで自宅が病院と違うものだとはっきり知ることができました。その経験があったからこそ私自身も具体的に自宅生活をイメージができたと思います。

菊池さん:さらに、ご家族と一緒に自宅の改修について、よく打ち合わせを行っていました。ご自宅のことは、一生のことですから、齋藤さん自身、またご家族としても不安が大きいところです。そうした不安が解消できるよう、改修内容だけでなく、費用のアドバイスや、公共福祉サービスの紹介といったかたちで可能な限りサポートしていました。

新たな未来へ 車いすのセラピストとして活躍

齋藤さん:私は入院中に、大学を退学していたので、退院後にどうしようかと考えていました。そのとき、担当医師から言語聴覚士の職場を見学してみたらという提案がありました。退院後も定期的に病院には通っていたので、そのときに見学をしました。そこで、車いすの私でもできる仕事だと感じ、何より自分が体験したリハビリテーションを誰かに還元できたらいいなと思い、言語聴覚士を目指す決心をしました。

菊池さん:その話を聞いたときは、うれしかったです。それに、彼は話をすることが得意で、入院中にも周りの高齢者の方と話をしている姿を見ていましたから、彼にぴったりの仕事だと思いました。彼の夢を実現できるよう、よく相談に乗っていましたね。

齋藤さん:当時は、言語聴覚士の学校が少なく、車いすでも通えるとなると限られていました。菊池さんにも、学校探しを手伝っていただきました。私の動作能力を踏まえた助言が心強かったです。そして、なんとか見つけた学校に3年間通い、卒業することができました。卒業後は、新潟の病院に1年間勤務後、この病院にセラピストとして戻ってきたんです。戻ってきたときは、本当にうれしかったですね。

菊池さん:齋藤さんが当院で働いたら、患者さんにとってもいい影響があるのではないかと思いました。当院では、脊髄損傷の方を多く受け入れています。その場に同じ障害を持ちながらも、社会で活躍している人がいたら、患者さんにとって心強いのではないかと考えました。それは、結果的に齋藤さんにとっても、良かったと思います。

齋藤さん:そうですね。私としても、その方たちの力になれることがうれしく、より集中して仕事に取り組めたと思います。現在は、別の病院で働いているのですが、ここで経験できたことは大きかったです。

患者さんに近い気持ちで寄り添い ともに人生を歩む

齋藤さん:セラピストになってよかったと思います。誰かに感謝されるということは、素直にうれしいですし、いま独り立ちできていることは自信になっています。
今後は、「車いすのセラピストは腕がいい」と口コミで広まってほしいと思います。私だからこそ、より患者さんに近い気持ちで接することができると思います。そうすることで、私が菊池さんを信頼していたように、患者さんに信頼してもらえるような人間になりたいと思います。

菊池さん:私もまた、齋藤さんと一緒に過ごしてきたことで、理学療法士として成長できたと思います。特に若い患者さんは、仕事をし、自立しなくてはいけません。しかし、将来のことは、なかなか想像できないものです。そのときには、齋藤さんのような人生の先輩たちのことを伝え、すこしずつ歩んでもらえたらと思います。私はそこに寄り添い、彼らの新たな人生をともに歩んでいきたいと思います。

笑顔の肖像

  • アマノリハビリテーション病院
    理学療法士 松尾 菜津美さん

1966年、日本初の理学療法士183名が誕生しました。
それから50年、いまや理学療法士の資格取得者数は約13万人となり、2世代、3世代にわたって理学療法士として活躍する家族もあります。
理学療法士は、からだに障害のある方が、「歩く」「座る」「立つ」「起きる」といった基本的な動作を取り戻し、社会へと復帰できるように、運動療法や物理的な手段を用いて治療を行ってきました。時代とともに理学療法の対象者や求められる役割は変わっていきますが、リハビリテーション(全人的復権)の理念を胸に、人々の健康と福祉に寄与する姿勢は変わりません。
理学療法士誕生と同じ1966年に設立された本会も設立50周年を迎え、現在では約9万5千名の会員数を擁する組織となりました(2015年3月31日時点)。会員の平均年齢は32・8歳、理学療法士として活躍するとともに、新しい家族を迎える世代の会員が多くいます。

新たないのちが誕生し、社会とともに成長していく。そして、やがて老いてそのいのちを終えるまで、よりよく生きていけるように、理学療法士はその知識・技術を向上させ、国民の健康や福祉に寄与してまいります。リハビリテーションがさらに充実するよう願いを込めて。

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