宮古・山田訪問リハビリステーションゆずる

事業所名「ゆずる」に込めた思い

担当理事 櫻田 義樹

司会
進行

櫻田理事は、岩手県理学療法士会の会長として、復興特区ができたときに事業所をやりたいと最初に手を挙げたと聞いています。さまざまな事情から2か所目の事業所となりましたが、最初の経緯から設立までのお話を聞かせていただけますか。

櫻田

東日本大震災後、日本理学療法士協会には陸前高田市にて被災地支援をしていただきました。また、山田町には青森・秋田・岩手と東北北3県の理学療法士会が協力して支援に入り、それぞれ9月、12月まで支援活動を行いました。もともとリハビリテーション資源の少ない地域だったので、支援終了の時期を決めるときは、本当にそれでよいのだろうかと、撤退することは大変勇気のいることでした。ただ、全国の方々にこれ以上ご負担をかけては......という気持ちがあったので、支援終了の決断をいたしました。

復興特区での訪問リハビリステーション設立の話があったとき、すぐに全国の仲間たちが募って支えてくれた、この岩手から発信しようという気持ちで手を挙げました。最初は日本理学療法士協会が支援した陸前高田市での開設を検討したのですが、すでに民間の方が準備しているとの情報があり、東北北3県で支援した山田町を候補とすることにいたしました。山田町には、熱意をもって被災地支援スタッフとして活躍してくれた白根さんという地元の理学療法士がいたことも大きな要因でした。しかし、県から復興特区に関わる人員配置基準が2.5人以上と示され、人員確保の難しさから、いったんこの話は白紙に戻すこととなりました。

それから1年間、検討を重ねて、浜通り開設の翌年、2013年4月設立を目途に取り組ませてほしいと、半田理事長に相談し、関係各所にも多大なご尽力をいただいて、無事に計画通り設立にこぎづけることができました。

山田町は、私たちの仲間である加藤譲くんが、あの3・11に所属施設の利用者さんを避難させようと、必死で救助活動をしていたなか大津波の犠牲になった地域でもあります。事業所の命名を半田理事長から託されたとき、迷わず「ゆずる」と名付けさせていただきました。加藤君のこと、全国の皆さまから頂いた温かい支援など、いろいろな思いが結実して、この「宮古・山田訪問リハビリステーションゆずる」があることを知っていただきたいと思っています。

就職説明会で現地の現状を説明する櫻田理事
就職説明会で現地の現状を説明する櫻田理事

地域に認めてもらうために、「当たり前」をきちんとやる

管理責任者 石田 英恵

司会
進行

石田さんは、当初一般のスタッフとして入られて、前任者から引き継ぐかたちで管理責任者を任されたとうかがっています。県外から宮古市に来られたこともあり、大変なことも多かったのではないかと思います。財団に入職された動機や事業所の活動状況などについてお聞かせいただけますか。

石田

私は中学3年生のとき、西宮で阪神大震災を体験しました。高校ではバスケットボール部に入部しましたが、震災後に遺体安置所に使われていた体育館はその後も工事などで使用できず、外でクラブ活動をやっていましたし、2つあったグラウンドのうち1つは卒業するまで仮設住宅の敷地として使用されていました。震災で亡くなった友人もいたのですが、できることはあまりなくて、無力感を抱いていました。

東日本大震災のニュースを見て、当時のことが思い出されて、いてもたってもいられなくなったところに、日本理学療法士協会から届いたボランティア募集のFAXが届きました。職場の理解も得られたので、5月と8月の2回、気仙沼市での支援活動に参加しました。その活動の中で「地域リハビリテーション」という考え方を地元の理学療法士に教えていただきました。勉強したいという気持ちと、一時的な関わりではなくて継続的な支援をしていきたいという気持ちがあって、財団の募集があったときに入職を検討しました。ただ、時期的な問題もあって、4月入職が可能だったゆずるで職員募集がされたときに応募したというのが入職の経緯です。

私が所属する事業所は宮古市・山田町の2市町に対してサービスを提供しています。活動範囲が広く、なかなか他のサービスでは依頼を受けてもらえないような遠方からの依頼でも、スケジュールや頻度を調整することで、できるだけ対応するようにしています。それは、櫻田担当理事もおっしゃっていたように、ゆずるが立ち上がった経緯のなかでいろいろな方の思いが込められているので、「ゆずる」の名前に恥ずかしくない、地域に認められる事業所として運営していきたいという思いがあるからです。県外から来た私たちスタッフを受け入れて依頼をしてくれることに感謝をして、当たり前のことをしっかりとやりながら、密な連携を取るように心がけ、信頼関係を作れるように努めています。

宮古市・山田町のようにリハビリテーション資源が少ない地域では、どのように多職種で連携するか、自分たちが何をすべきかを具体的にイメージすることがなかなかできませんでした。そこで、そのイメージを具体化し、また、多職種で連携すると利用者さんの生活がもっと広がることを伝えるなど、研修会などの活動を積極的に行いました。そのような取り組みから、だんだんと連携が生まれてきています。たとえば医療・介護連携では、宮古市の病院では心不全の再入院が多いことから、医師が地域連携パスを作ることを目的に研修会を開いたのですが、医療の専門用語が多くてケアマネジャーさんに伝わらないということがありました。そのときに、私たちが参加して、医療と介護の知識をつなげることができました。このようなところにも私たちの役割があると感じた出来事でした。

宮古市は広い面積を有する市なので、以前は、保健師は保健師、行政は行政、専門職は専門職、とそれぞれで動くことが多かったようですが、東日本大震災がきっかけとなって一緒に活動するようになり始めたところに、ゆずるの事業所ができたというタイミングだったようです。私たちリハビリテーション専門職が関わることで、つながりがさらに強くなったという言葉をいただくことがあり、地域の活性化とつながり強化にゆずるも貢献できているのかな、と感じているところです。

また、宮古市に私たちから介護予防事業に関わっていきたいとお伝えして、地域で立ち上がっていた自主グループの活動への参加などを通じてお互いを知り合うところから始めました。これまで地域活動を行ってきた団体と棲み分けしながら、今年度から運動リーダー育成事業に講師として参加することができるようになりました。

山田町では、これまで地元の病院が行っていた訪問型の介護予防事業や自主グループの体力測定などを引き継ぐかたちで委託していただいています。町外からのサポートなので抵抗を感じられることもあったかと思うのですが、訪問リハビリテーションの活動などを通じてケアマネジャーさんの応援もあり、だんだん地域に溶け込んできているように思います。

私たち財団と事業所に求められているものは、地域の取り組みや課題に対して地域の一員としてリハビリテーション専門職の専門性を発揮することだと思います。そのためにはマンパワーがないと難しいので、全国から地域で活躍したいという人材に支援していただければと思います。

宮古・山田訪問リハビリステーションゆずる スタッフ
宮古・山田訪問リハビリステーションゆずる スタッフ
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